特報『お好み焼き』について画像をまとめてみた


お好み焼きともんじゃ焼き、どっちが好き?【都道府県別投票】 - Jタウン研究所 - Jタウンネット
西日本(とくに大阪・広島)のお好み焼きに対し、東日本を代表する粉ものグルメといえば「もんじゃ焼き」だろう。本場とされる東京・月島には、数十店舗以上が軒を連ねる「 ...
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お好み焼き(おこのみやき)は、小麦粉とキャベツなどを使用する鉄板焼きの一種である。 水に溶いた小麦粉を生地として、野菜、肉、魚介類など好みの材料を使用し、鉄板の上で焼き上げ、ソース・マヨネーズ・青のり等の調味料をつけて食する。焼き方や具材は地域によって差が見られ、「関西風お好み焼き
89キロバイト (12,261 語) - 2019年9月13日 (金) 06:59



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『お好み焼き』大阪府vs.広島県どちらが本家? お好み焼き文化のルーツを名店とともに探る!

関西風お好み焼きというのは、生地と具材を混ぜ合わせて焼く"混ぜ焼き型"。一方、広島風お好み焼きは、薄いクレープ状の生地をまず焼いてから上に具をのせていく"重ね焼き"が特徴だ。この両者、「本家はうちだ!」と主張する声をよく耳にするが、実際はどうなのだろうか。

我々が「●●風」と付けず単に「お好み焼き」と言う場合、混ぜ焼き型、つまり関西風お好み焼きを指す場合がほとんどである。つまり、現在流通しているお好み焼きは関西発祥ということになる。では、関西風お好み焼きのルーツは何なのか? そして広島風お好み焼きのあの特徴ある焼き方は、何に由来するものなのだろうか?

お好み焼の原型は駄菓子屋の「一銭洋食」!?
明治時代後半、大阪や京都の駄菓子屋にて、水で溶いたうどん粉を鉄板で薄く丸く焼き、粉かつおやネギをのせて半分に折り、ウスターソースをかけたものが売り出される。値段は1銭で、当時はソース=洋風の味ということで、「一銭洋食」や「洋食焼き」という名で広まった。

この一銭洋食がお好み焼の原型と言われている。ただし、一銭洋食は先述の通り、薄く焼いた生地でネギなどを挟み込んだ状態、つまり、混ぜ焼き型ではなく重ね焼き型。これは、広島風お好み焼と同様のタイプであり、その意味では広島風お好み焼の方が、ルーツの姿を受け継いでいると言えるだろう。

関西風お好み焼の元祖としては、大阪の道頓堀にある昭和20年(1945)創業の老舗お好み焼店「美津の」が有名。ここはメニューに「洋食焼」(750円)もあり、同店こだわりの生地と、昔懐かしい一銭洋食の味わいを楽しむことができる。

また、広島風お好み焼の老舗のひとつが中区八丁堀にある昭和25年(1950)創業の「みっちゃん 総本店」。広島風お好み焼の定番である「そば入りお好み焼」(750円~)はこのお店発祥と言われており、また、オタフクソースから同店監修によるオリジナルお好み焼用ソースも開発・販売されている。

ルーツは東京!?
関西や広島において、一銭洋食というものから現在のお好み焼へと発展していったわけだが、実はこの一銭洋食のそのまたルーツが東京の「どんどん焼き」ではないかという説がある。

明治時代末期~大正時代、東京の駄菓子屋では「もんじゃ焼き」が売り出されていた。ここから派生して移動式の屋台で売り始められたのが「どんどん焼き」である。移動式屋台での販売、つまりテイクアウト用なので、もんじゃ焼きよりも小麦粉の割合を多くして固める必要があった。その結果、現在の混ぜ焼き型お好み焼に近いもとなったようなのだ。

東京ではもんじゃ焼きほど浸透しなかったが、移動式屋台というフットワークの良さによって、どんどん焼きはむしろ地方都市へと拡散していいく。それが関西でまた姿を変え、一銭洋食という名で定着したというわけだ。また、関西風お好み焼きは、一銭洋食よりもむしろこのどんどん焼きに直接的な影響を受けているのではないかとも言われている。

なお、京都・祇園には、昔ながらの一銭洋食を看板メニューとする、そのものズバリ「壹錢洋食 祇園本店」という軽食・休憩処があり、店内外のディスプレイとともに名物店となっている。

ルーツは共通でも地域によって違うお好み焼き文化

関西では、お好み焼を箸で食べるなんて邪道という人も
ところで、東京のお好み焼き店では豚天、イカ天など各お好み焼を「●●天」と表記していることが多いが、関西では豚玉、イカ玉など「●●玉」と表記されるのが一般的である。「●●天」の"天"とは天カス(揚げ玉)、●●玉の"玉"とは玉子のことを指しているわけで、どちらもお好み焼きの定番の材料であることに変わりはない。では、なぜこのような違いが生じたのだろうか?

そもそも駄菓子屋で売られていた一銭洋食をもとに、キャベツをたっぷり入れるなどしてボリュームを増した関西や広島のお好み焼。これはつまり、あくまでも"おやつ"だった一銭洋食を、主食としても代用できるように発展させたわけである。

一説には、主食メニューとして売り出すなら、戦後の日本ではまだ貴重な食材だった卵を強調した方が高級感や値打ちが出るだろうという商売上の戦略として、関西では「●●玉」と称するようになったのではないかと考えられている。

また、東京ではお好み焼をピザのように最初に放射線状に切り分け、それを箸で食べることが多いのに対し、関西では手前から一口サイズに切っては食べていくという人が今も結構多い。そしてこの食べ方の際には、箸を使わずにコテでそのまま切り分けたお好み焼を口に運ぶ。これも、関西では「ひとりで1枚丸ごと食べきる」という、お好み焼きを主食として楽しむ習慣の表れだろう。一方東京では、「お好み焼きは1枚を皆で分け合うもの」という、サイドメニュー的感覚が強いのだと考えられる。

さらに、広島風お好み焼では、"そば入り"が定番であるのに対し、関西風お好み焼では、そばを入れたものを「モダン焼き」と称して通常のお好み焼と区別しているという、関西と広島におけるお好み焼文化の違いもある。このように、もとはどんどん焼きや一銭洋食など共通のルーツを持ちながら、地域によって焼き方や食べ方などお好み焼き文化に様々な違いが生じているのが面白いところだ。

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